5月は天気のいい日が続きます。先日、まったく違った空が現れました。雨の次の日で遅くまで澄み渡り、夏の雲を思い起こせるような塊の雲が浮いていました。大麦の収穫時期で、一面黄金色の絨毯が風に揺られているかのようでした。はるかかなたには雲仙や多良山系の山々が青く、麦の黄色と美しい対比をなしていました。まるで空がめざめたかのようでした。この季節には、よく空気遠近法を使った絵を描いたり、トランスパレント絵の作品作りをしたりします。遠くの山になればなるほど、緑から青に変わっていくことを表現していきます。その際に変わっていくのは間にある空気の層の色であるということを理解しています。そしてそのことは対象を眺めたときにその対象に対する印象のような、眺めるものの感情を表しているかのようです。また、気持ちという言葉がありますが、空を眺めるときにそこに浮かぶ雲たちは、あたかも空気中に浮かぶ気(雲)を携えているかのようです。また、たなびく麦の穂は見えない風の存在を明らかにしてくれます。そのように、空気の存在は山や雲や植物たちの、色の変化、形の変化、動き、によってあらわされています。このような、空気の存在は私たちの中の感情的なものと呼応しています。-春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山- 万葉集に収められた持統天皇作のこの短歌は高校の頃に学校で習った句の中で今でも覚えているものの一つですが、白い衣(もしくは雲)が初夏の風にたなびいている気持ちを表したものです。5月から6月にかけて私たちの意識は、立ち上がって行く空気に向かっています。それを、吹き流しや鯉のぼり、旗などを通じて感じようとしています。旗やのぼりは私たちの心のひだのようなものです。私たちの中に、旗が高らかにたなびきますように。