秋が深まり、木々も色づき始めました。静かな季節が訪れます。
先日、中国の上海に行ってきました。世界で一番大きい楽器の博覧会を見学するためです。
ガイドブックも買うことなく訪れたので、上海の街がどういうところかもわかっていなかったのですが、空港からは世界最速のリニアモーターカー(時速430km)を始めとして、世界で二番目に高いビル(632m)など、土肝を抜かれるものばかりでした。
それとは裏腹に、街中の地下鉄で行われている荷物検査、街のいたるところに立っているお巡りさんや警備の若者、監視カメラ、フェイスブック、ユーチューブ、ウィキペディア、などのページが閲覧できないこと、などなど、かなりの監視と制限の中で、街の秩序が保たれているのを感じました。
警備の若者たちはとても純朴で、街を歩く若者たちは、自分たちの街の豊かさに誇りをもっている様子がうかがえました。こういう社会に慣れている人たちは、自分たちがかなりの制限の中で暮らしているという不自由さは感じないのかもしれないと思いました。
それと比べて、日本ではかなりの自由が利きます。もちろん、中国の人たちと同じように、自分が気が付かない制限がかかっているかもしれませんが、それなのに、その自由を放棄しているようにも感じました。純朴で、純粋な若者たちの顔を思い浮かべるたびに、何も知らされずに、コントロールされて、純粋に育っていくのと、周りにたくさんの情報に取り囲まれて、たくさんのことを知らされすぎて、複雑で疑い深い人間として生きていくのと、どちらがいいだろうか?と考えました。もちろん、私自身は、コントロールされない社会で生きていきたいと思いました。
先日、東京の列車に乗った時、前の横一列の座席に座っていた人みんなスマホを見ていました。
私自身、そして子どもたちになってもらいたい目標は、周りに起きていることを知りつつ、情報の洪水の中で溺れることなく、自分の中に純粋な心を育てていくことだと思います。
そのための第一歩は、自分を表現すること、周りを表現することだと思います。
作品展ではお世話になります。